昭和23年4月新制高等学校が発足後、同年6月26日PTA全国協議会が作られたが、本県では同26年7月12日まで、全県を統括する組織は生まれなかった。その当たりの事実を記述した記録が本連合会機関紙「高P連だより」第13号(昭和54年12月20日付) に次のように残っている。
昭和26・7・12
愛知県公立高等学校PTA連絡協議会(高P連と略称)
発足時、県立57校(市立9、国立2校)、初代会長長谷川正明(明和P長)。
県下各校単Pの連合体の結成がなされた。
(字体のゴチは原文のまま)
 また、同じ記録に全国組織への加盟が記されている。
昭和33
第6代会長 小川 升(半田)
全高P協に加盟(時に全日109校、定時69校) 
 これ以後、組織に関する記録が散逸しているが、発足時に県立以外に名古屋市立ならびに、国立校が含まれていた。その後若干の離合があったが、昭和40年代後半以降、現在のような県立校主体の組織として続いてきた。
●機関紙「高P連だより」創刊
 昭和40年代の後半ごろから、本県高P連の活動がようやく本格化しだし、従来の高等学校の後援会的な活動から、会員の子弟の福祉の向上、民主的教育の推進、教育予算確保への協力など、本格的な社会教育団体としての活動へと歩を進めつつあった。
 しかし、「事務局を会長就任校におく」(当時の会則第1条)ことになっていたので、会自体の活動に連続性に欠けるところがあった。そのため、会員への会務のPRのために、昭和49年2月25日、「高P連だより」(B5判8ページ)が創刊された。
 時の会長は石川光三氏(半田P長)、編集委員長は翌年の会長大脇三平氏(瀬戸窯業P長)。
 内容は当時の県知事桑原幹根、教育長仲谷義明、公立高等学校長会長若松茂の各氏の祝辞と会長あいさつ、PTA指導者研修会と県下5地区での研修会の報告中心になっている。
 なお、この「高P連だより」は現在も毎学期末A4判4ページで、年3回発行している。

高P連だより・平成19年7月(第69号)【PDF】
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●安全互助会の創設と廃止
 昭和48年度の青森での全国大会で、学校管理下における児童・生徒の災害に対する日本学校安全会(現在の日本体育・学校健康センター)の災害給付は必ずしも満足できる額ではないというので、これとは別途の救済措置が必要だと叫ばれていた。以後、本県高P連としても、この問題に強い関心をもち、種々研究を重ねてきたところ、たまたま、県公立高校長会がこうした事態を憂慮し、同じく昭和48年度から保健委員会で生徒の学校管理下における災害に対する望ましい救済(補償)のあり方について研究を重ねてきたので、県高P連も昭和48年度途中から校長会とタイアップして、自主救済(安全互助)方式を中心に検討を始めた。
 その結果、昭和50年10月の理事会で安全互助会準備委員会の特設を議決し、昭和51年度正式発足を目途に校長会保健委員会作成の試案をたたき台にしながら、具体案作成の作業に入った。
 数度の準備委員会で原案を固め、昭和51年2月の高P連理事会に提案、各単位PTA、各地区P協を中心に話し合いが進められ、3月の理事会、臨時総会で最終的に採択され、次年度からこの事業が発足した。そのため、事務局は県高P連と安全互助会との二枚看板を掲げて事務を処理していくこととなった。
 しかしながら、平成17年12月に保険業法の改正があり、平成18年4月1日に公布され、安全互助会が運営できなくなりました。県高P連規約を改正し、見舞金制度を導入することにより、一部の内容を今後高P連が引き継ぐことになり、平成18年3月31日をもって、安全互助会を廃止することになりました。
●独立の事務局の設置
 昭和51年4月、愛知県立学校PTA安全互助会の発足と同時に、従来会長校とともに持ち回りになっていた県高P連事務局を独立させ、専従の事務局員を配置することになった(所在地=名古屋市中区丸の内3ー4ー13 名古屋労政事務所ビル3F)。このことにより、継続的な事務処理と緊急事態への積極的な対応が可能になった。
 この当時、独立専従の事務局をもつのは、全国では本県を含めて16県に過ぎなかった。発足当初は、高校長経験者と経理担当の高校事務長経験者の2人で事務局を構成していた。しかし、事務が一年のうち特定の時期に集中するので、当初は事務配分に苦慮した。その後昭和63年にパートの事務補佐員を入れて、ピーク時の事務処理に対応した。
 昭和61年度定期総会において、PTA活動中の保護者の災害補償制度を設けるよう会則が改正された。単P、地区連合会又は県高P連が主宰する児童・生徒の交通指導、校外補導又は学校の環境整備作業等の奉仕作業に参加中の保護者の災害についても見舞金の給付を行うこととなった。従来は児童生徒の学校管理下の災害のみを対象としていたが、保護者にまでその対象が拡大したものである。また、児童生徒に対する給付内容の改善にも努力し、現在に至っている。 
 昭和62年10月、愛知県教育会館の竣工とともに本会の事務局も移転した(新所在地=名古屋市中区新栄1ー49ー10 愛知県教育会館6F)。
 翌63年から本会の呼称を愛知県公立高等学校PTA連合会と改めた。
 平成4年、安全互助会の事務量の増大に伴い、高校長経験者の事務職員を1名増員し、積極的に各地区での研究集会の強化のための助言などに当たっている。また、事務処理の現代化のために、平成8年度からコンピュータを導入し、安全互助会の支給のための集計、帳票の作成、記録等を一括処理できるプログラムを開発し、運用している。また、学校へのインターネットの導入・活用に合わせて、平成12年度から導入した。
平成17年度より安全互助会の給付事務については銀行から学校への振込をインターネットを利用して実施するようにした。